東電社員の悲劇

福島原発事故は制度災害、そして人災である。もちろん、被災された方、避難された方、今後何十年にもわたって土地を奪われ、生活を奪われた福島県をはじめとする東北県民の方々の辛く厳しい状況は、何事、何人にも比較はできない。できるとすればチェルノブイリの人たちだろう。
一方、次元は異なるがサラリーマンとしての東電社員の悲劇はあまり触れられていないので、考えてみることにする。
彼ら(本稿では原子力本部、企画部以外の)社員は、3月11日から予期せぬ停電で大騒ぎとなり、電力復旧に汗を流した。多くの社員が会社の廊下で徹夜した。計画停電では飛び交う情報と苦情処理に明け暮れた。これらすべてが会社、経営者のリスク管理の欠如と怠業が原因である。
次に社員を襲ったのは給与カットとボーナスの半減である。その後の夏は会社の言うとおり家庭の需要家や自治体向けに「節電」のお願いキャンペーンをはり、エネ庁とは怒鳴られながら折衝した。しかし、需要家による法律下の、そして自主的な節電もあり、同時に会社側の需要データの欠如もあり、電力は余る結果となった。
そしてトドメが、5千人近くの人間の賠償センターへの派遣と異動である。中には30−40代の単身赴任も多い。辞令が出て3-6日で荷物をまとめて家族と離れるのである。邪推だが、多くが管理職や管理職候補ではなく、いわゆる「普通のサラリーマン」が送られたのではないだろうか。そしてそれに続くリストラの発表。賠償センターに派遣された社員の中は、「おそらく俺たちがリストラの対象なのだろう」と感じた人間が多くいたかもしれない。
確かに東電の経営層、原子力本部、企画部の責任が重い。しかしほとんどの社員は普通一般企業のサラリーマンと違わない生活があった。電気を送る使命はおそらく高かったのだと思うし、危機対応で「いい加減な」社員はほとんどいなかったのではないか?
もしも原子力政策が見直されており、福島原発の代わりにガス火力や石炭火力発電所が運転されていたとすれば、彼ら普通の東電社員たちは賠償センターに派遣される運命をたどらなかっただろう。さらに昨今、話題にのぼる発送電の分離がなされていたら、発電所の事故は発電会社が対応し、原子力とは全く関係のない送電、配電、営業小売のサラリーマンは、原子力事故で賠償センターへ異動させられることにはならなかっただろう。
「賠償業務をやるために東電に入ったわけではない」と感じる20代の東電社員が辞め始めていると聞く。しかし家族があり住宅ローンを借りていた30−40代の社員は辞めるにやめられない。彼らの将来は急に暗転したのである。
どんなに素晴らしい設備があっても、人が減り、給料が減り、将来が暗い人材しか残らない東電では、今後の電力の安定供給に大きな不安が残る。
原子力とはまったく何の責任も関係もない社員たちの生活と将来を暗転させたのは原子力制度、そして垂直統合型の電力制度である。しかし電力会社はこの制度を未だに守ろうとしている。電力労組も知らんぷりである。
5千人の東電社員の悲劇がこれら制度の大きな問題点を映し出している。