東電の賠償チームの組織論

東電の賠償チームは5000人規模という。さらに数千人の追加動員があるかもしれない。
それだけ原発事故は企業組織の再編を伴う。ここで考えなければならないのは、①この五千人が今までは何をしてきた人たちで今までの業務に支障はないのか、②誰がどのようにしてこの五千人の収入を(組織として)得るのか、③彼らは原発賠償をするために東電に入ったわけではないのでモラルの低下の心配がないか、④彼らはこの先ずっと賠償担当となり続け元の組織に戻る椅子は与えられないのか、などである。
まず①だが、賠償チームを送り出した組織で支障がないとしたら彼らは潜在余剰だったのか、ということがある。そして流通(送電・配電)からの派遣だったら、そこに問題は出てこないのか、という心配もある。ここに垂直統合型の組織の問題があり、発電部門の事故対応で流通部門の業務に支障が出る。つまり原発事故で、それとは直接関係のない設備投資や設備メンテがおろそかになり、停電事故の原因となるのだ。
②に関しては、賠償が膨らんだり長年続けば、東電の財務負担は一層厳しくなる。もしも他の電力会社でこのような事故が起きても、収入原資の無い人材を長年現場に張り付けることとなってしまう。
③と④はさらに深刻だ。彼らは賠償のために電力会社に入ったのではない。今は彼らにとって有事対応だが、時間とともに「私はこの仕事をするために東電に入ったのだろうか」「もう元の仕事には戻れないだろう」「我々は潜在的なリストラ(人員削減)対象だろうか」という不安がでてきても不自然でない。さらに現在、賠償チームにいなくても、「いつ賠償チームに送られるのだろうか」という心配がある。何か業務でミスをすれば、「送られる」恐怖があるかもしれないし、不遜な上司であればそれをちらつかすこともできる。
これが社会基盤とライフラインを守る電力会社の社員全体のデモラライズ(モラル低下)になっているとすれば、それこそ電力会社の組織を発電は発電、流通(送電と配電)は流通、小売(お客様対応)は小売ときちんと分ける必要がある。ここにも垂直統合型のもたらす問題があるのだ。