国内配慮という愚行

TPPの会議参加で野田首相の発言内容が報道と食い違ってきている。
ハワイでの米国関係者向けの発言と、国内向けの内容ということである。
これは「国内配慮」というわけのわからない。というか時代錯誤の発想だ。
これに類似した行動は、原発事故後の政府の対応、そして東電の事実隠しにもある。住民配慮、マスコミ配慮、被害者配慮、など大本営意識による情報管理以外の何物でもなく、それこそジャスミン革命で倒れた中東各国の政府と同じである。
これはオリンパス・スキャンダルにも相通じるものであり、上から目線、情報操作は必ず破たんする時代であり、そしてそれを可能にする情報通信技術の発達を看過していることが大きな問題である。

電力にペレストロイカを

(1)Wikipediaより
グラスノスチ(ロシア語: гласность、glasnost publicity)とは、ゴルバチョフ時代のソビエト連邦においてペレストロイカ(perestroika、改革)の重要な一環として展開された情報政策である。日本語では「情報公開」などと訳される。
ペレストロイカ推進のためには従来の社会主義イデオロギーの枠を超えた発想が求められた。そのため今まで抑圧され続けていた改革派の知識人をあるいは学者をペレストロイカに巻き込む必要があった。
1986年4月に起こったチェルノブイリ原発事故をきっかけに、種々の社会問題を解決するために言論・思想・集会・出版・報道などの自由化・民主化が行われた。1986年末までには、一部のテレビ・新聞がソ連社会の問題点を率直に批判できるようになった。また、ブレジネフ政権のアフガニスタン侵攻を批判してゴーリキー(現・ニジニ・ノヴゴロド)に幽閉されていた科学者アンドレイ・サハロフも釈放された。

(2)日経 2011 11 14 より
東電の開示姿勢なお疑問 福島原発初公開
バス降車や作業員取材は不可、自由な撮影も制限
 屋外ではバスから降車禁止、自由な撮影は認めず、作業員へのインタビューも不可――。事故後8カ月たって実現した福島第1原発の初公開は、他の原発取材でも経験がないほど制限が多かった。海にこれほど近くてなぜ津波想定が甘くなったのか。東日本大震災の強い揺れには本当に耐えたのか。原子炉内部は一体どうなっているのか。敷地に入ることが許された3時間だけでは疑問は解けない。
 東電社員の引率のもと、あらかじめ決められた経路をバスで見て回った。報道陣の安全や復旧作業に配慮したのは分かる。ただ東電はテロ対策を理由に、写真を検閲し不都合があれば消去するとも通告。抗議を受けて中止したが、情報公開の姿勢には疑問が残る。
 膨大な資料や画像の公開など徐々に情報開示は進んでいる。ただ大半を黒塗りにした事故時運転操作手順書の問題など、肝心な情報は公にしない姿勢がのぞく。事故当初から指揮を執る吉田昌郎所長の取材は今回が初めてだったが、詳細は「事故調査・検証委員会には話した」と述べるにとどまった。国民の疑問に答えたとはいえない。
 今月初めには2号機で臨界の可能性が取り沙汰されるなど、原子炉の状態は不透明さが残る。年内に「冷温停止」を宣言したとしても、果たして国民は安心できるか。信頼回復には、単なるデータの公開にとどまらず、事実の開示が不可欠だ。今回の現場公開は、その第一歩にすぎない。

落日とはまさに落ちる日本のこと

以前から付き合いのある米国ベンチャー企業が中国進出するために資金調達を行っている。
そしてその調達が済めば、日本にも進出を考えるという。
まさに日本はアジアの(良くて)2番手だ。落日とは日本を指している。
産業界も役所も内向きな論理で鎖国状態が続く。
3億の市場の米国、10億の中国、15億のインド、それに比べてシュリンクする1億の日本市場には、海外企業から見向きされなくなるのが当たり前だ。
以前書いたが、円高で工場と人材と両方海外移転する必要がある。
国内に残るのはダメ親父だけとなる。

オリンパスは氷山の一角

とうとうオリンパスの実態が表面化した。
まず、日本の企業統治Corporate Governamceと監査Auditに問題がある。おそらくほとんどの役員は知っていたのだろう。しかし監査法人にも問題があることは新聞は報道していない。
このような損失隠しというか、損失の繰り延べは1990年代から大企業や大銀行で横行していた。何も新しいことではない。
それを手伝って巨額の利益を出していたのが、外資系金融機関であるしそれに続いて日本の銀行も「はげたか」になっていった。
リーマンもその類だろう。けれどリーマンだけではない。大手の金融機関は事業会社のオフバランスシート取引や仕組み債で、どんどん損失繰り延べを行っていた。それが2011年になって止まったとも思えない。おそらく1990年代の数倍に膨れ上がって繰り延べているのだろう。
このような事態を「当たり前」として証券監視委員会は”おかしい”臭いのする企業をすべて捜査すべきだろう。
それにしても慣れあいの監査法人は厳罰に処すべきだ。知らないはずが無いからである。

米国の終わりの始まり

米国がUNESCOへのUS$60 millionの出資支払いを見送った。UNESCOにパレスチナが加盟し、イスラエルの反発に同情したからだ。UNESCOという人道、科学技術における場での米国の後退の意味は大きい。
この発表を行った記者会見で米政府の報道官は完全にしどろもどろだった。記者の質問にもまったく的外れな答えしかできない有様だ。
米国は2011年初頭に起きたチュニジア、エジプト、そしてリビア民主化既得権益を喪失したばかりか、中東における米国のビジョンと役割まで捨て去った。
中東の民主化イスラエル民主化圧力も高まるだろう。そしてイランでも同様だ。
しかし旧来型の陳腐化したイスラエル依存の中東外交モデルしか展開できない米国は、世界のリーダーシップから急速に遠のくだろう。
台頭する中国や右傾化するロシアをコントロールできるはずの米国は過去のものとなった。

謝らない電力会社

まず東電の場合には何があっても謝る姿勢はない経営層が存在する。世間、あるいは社外に謝るという経験がほとんどない人生を送ってきたからだ。何事においても社内の、そして組織上部の機嫌を取り、社内の人間関係を重視するのに長年、慣れ親しんできたからである。内高外低の姿勢は一昔前の役所と同じであり、現代となっては非常に奇妙である。時代錯誤というか、昭和中期のサラリーマン社会を彷彿とさせるものがある。
これは地域独占、保護料金でぬくぬくと太ってきた公益民間企業が生んだ、モンスターサラリーマン組織であり、社外に頭を下げるなどという風土は全く存在しない。だから原発事故の後でも、社長を含め、役員総出で福島に行った時も、天皇陛下よりも頭が高かったのである。これは東電というか電力会社の典型的な文化、風土なのだ。
また九電の経営層をみても同じだ。何が悪いのか、社会通念から離れて40年も九州王国の君主として君臨し続ければ、理解できなくなっている。東京の、あるいは日本の問題や社会通念とは縁が無くなる。
その根底には、電力会社がいわゆる技術者を中心としたサラリーマン社会で、一般職は「事務や」と呼ばれている。事務やですから、という自嘲的な表現で、技術者に判断を任せる。技術者が相手だから、社内の論理も技術的な問題と解決方法が念頭に来る。
需要家をわざわざ「お客さま」などと慇懃無礼な呼称を使うのも、誰もカスタマーとみなしていないことが露骨するので、「さま」つきでカムフラージュしているだけだ。しかも滑稽なのは、すべての電力会社が「お客様」ではなく「お客さま」と、「さま」をわざとらしく強調していることだ。これは「客っていうのはうるさい奴らだだからすこし持ち上げれば気が済むだろう」、という意識がある。
停電でも節電でも電力会社の説明は不可解だ。意味不明の専門用語を乱発し、自分たちだけの世界にひたって、客を馬鹿にする。しかも説明はすべて電力会社側のロジックである。これは社長以下、「謝る気が無いけど、謝っているふりをする」社員が多いことは会社全体の問題なのである。
しかも客先に謝るときには、大抵、理屈が付く。停電で困り、怒っているいる客に、停電の理屈を説明しても意味が無い。そんなことは社内の技術的な問題であり、電力会社側の理由で停電したんです、と言われても分かるわけが無い。
そもそも停電で迷惑をかけた客先に謝りに行くのに、その説明を技術的な理屈で説明すること自体、心が無い。客先は謝ってほしいのだから、謝ればよい。それを自分たちの理屈で、技術論をブツのは最低である。まったく客商売がわかっていない、というかそれならば「お客さま」などという大ウソをつくべきでない。
当然、客側も悪い。難癖をつける輩もいる。しかし、そんなのは当たり前の世界だ。どこの商売でもある。それをだましだまし、「心」で接するのが商売の基本であろう。それを電力会社は、上から目線で頭ごなしに、電気工学の理屈で説明するから馬鹿なのである。彼らには「心」で社外と接する訓練を受けたことが全くないのだ。
彼らに小売商売はできない。発電所とともにとっとと小売部門も売却すべきた。
もちろん現行の経営層は箸にも棒にもかからないからすぐに辞職させるべきだろう。

自転車は車道徹底へ

警察庁は自転車の通行で、幅3メートル未満の歩道は許可しない方向で見直すことを決めたという。また、自転車専用レーンも一部導入計画である。
まず、新しい変更をどのように周知徹底させるか、だ。自転車の利用者は、午前午後は学生と主婦が多い。とくに高校生には学校で道路交通法を教える必要がある。また主婦にはスーパーなどのポスターで徹底させなければならない。
何が危険なのか、という点も大事だ。とくに携帯電話で通話やメールをしている場合には厳重な注意が必要だ。さらに自転車も軽車両であれば横断歩道や赤信号で止まる義務を再確認すべきだ。学生はとくにかなりのスピードで赤信号を無視してきて危険極まりない。
さらに警察官の対応である。交番で道案内をしている時間があれば、危険な自転車走行を取り締まるよう、街頭に立たなければならない。また罰則規定をどうするのか、これも明示化して周知すべきだろう。
車道の自動車の運転手側にも、この規制の変更を伝え、「歩行者と自転車の共存」から「自転車と自動車の共存」の変更で、ドライバーの考え方と気持ちを再教育することが大切だ。
最近、自己中心的になりつつある日本人に、どのように自転車側とドライバー側のマナーを守らせるか、知恵と教育が必要である。