電力にペレストロイカを

(1)Wikipediaより
グラスノスチ(ロシア語: гласность、glasnost publicity)とは、ゴルバチョフ時代のソビエト連邦においてペレストロイカ(perestroika、改革)の重要な一環として展開された情報政策である。日本語では「情報公開」などと訳される。
ペレストロイカ推進のためには従来の社会主義イデオロギーの枠を超えた発想が求められた。そのため今まで抑圧され続けていた改革派の知識人をあるいは学者をペレストロイカに巻き込む必要があった。
1986年4月に起こったチェルノブイリ原発事故をきっかけに、種々の社会問題を解決するために言論・思想・集会・出版・報道などの自由化・民主化が行われた。1986年末までには、一部のテレビ・新聞がソ連社会の問題点を率直に批判できるようになった。また、ブレジネフ政権のアフガニスタン侵攻を批判してゴーリキー(現・ニジニ・ノヴゴロド)に幽閉されていた科学者アンドレイ・サハロフも釈放された。

(2)日経 2011 11 14 より
東電の開示姿勢なお疑問 福島原発初公開
バス降車や作業員取材は不可、自由な撮影も制限
 屋外ではバスから降車禁止、自由な撮影は認めず、作業員へのインタビューも不可――。事故後8カ月たって実現した福島第1原発の初公開は、他の原発取材でも経験がないほど制限が多かった。海にこれほど近くてなぜ津波想定が甘くなったのか。東日本大震災の強い揺れには本当に耐えたのか。原子炉内部は一体どうなっているのか。敷地に入ることが許された3時間だけでは疑問は解けない。
 東電社員の引率のもと、あらかじめ決められた経路をバスで見て回った。報道陣の安全や復旧作業に配慮したのは分かる。ただ東電はテロ対策を理由に、写真を検閲し不都合があれば消去するとも通告。抗議を受けて中止したが、情報公開の姿勢には疑問が残る。
 膨大な資料や画像の公開など徐々に情報開示は進んでいる。ただ大半を黒塗りにした事故時運転操作手順書の問題など、肝心な情報は公にしない姿勢がのぞく。事故当初から指揮を執る吉田昌郎所長の取材は今回が初めてだったが、詳細は「事故調査・検証委員会には話した」と述べるにとどまった。国民の疑問に答えたとはいえない。
 今月初めには2号機で臨界の可能性が取り沙汰されるなど、原子炉の状態は不透明さが残る。年内に「冷温停止」を宣言したとしても、果たして国民は安心できるか。信頼回復には、単なるデータの公開にとどまらず、事実の開示が不可欠だ。今回の現場公開は、その第一歩にすぎない。