謝らない電力会社

まず東電の場合には何があっても謝る姿勢はない経営層が存在する。世間、あるいは社外に謝るという経験がほとんどない人生を送ってきたからだ。何事においても社内の、そして組織上部の機嫌を取り、社内の人間関係を重視するのに長年、慣れ親しんできたからである。内高外低の姿勢は一昔前の役所と同じであり、現代となっては非常に奇妙である。時代錯誤というか、昭和中期のサラリーマン社会を彷彿とさせるものがある。
これは地域独占、保護料金でぬくぬくと太ってきた公益民間企業が生んだ、モンスターサラリーマン組織であり、社外に頭を下げるなどという風土は全く存在しない。だから原発事故の後でも、社長を含め、役員総出で福島に行った時も、天皇陛下よりも頭が高かったのである。これは東電というか電力会社の典型的な文化、風土なのだ。
また九電の経営層をみても同じだ。何が悪いのか、社会通念から離れて40年も九州王国の君主として君臨し続ければ、理解できなくなっている。東京の、あるいは日本の問題や社会通念とは縁が無くなる。
その根底には、電力会社がいわゆる技術者を中心としたサラリーマン社会で、一般職は「事務や」と呼ばれている。事務やですから、という自嘲的な表現で、技術者に判断を任せる。技術者が相手だから、社内の論理も技術的な問題と解決方法が念頭に来る。
需要家をわざわざ「お客さま」などと慇懃無礼な呼称を使うのも、誰もカスタマーとみなしていないことが露骨するので、「さま」つきでカムフラージュしているだけだ。しかも滑稽なのは、すべての電力会社が「お客様」ではなく「お客さま」と、「さま」をわざとらしく強調していることだ。これは「客っていうのはうるさい奴らだだからすこし持ち上げれば気が済むだろう」、という意識がある。
停電でも節電でも電力会社の説明は不可解だ。意味不明の専門用語を乱発し、自分たちだけの世界にひたって、客を馬鹿にする。しかも説明はすべて電力会社側のロジックである。これは社長以下、「謝る気が無いけど、謝っているふりをする」社員が多いことは会社全体の問題なのである。
しかも客先に謝るときには、大抵、理屈が付く。停電で困り、怒っているいる客に、停電の理屈を説明しても意味が無い。そんなことは社内の技術的な問題であり、電力会社側の理由で停電したんです、と言われても分かるわけが無い。
そもそも停電で迷惑をかけた客先に謝りに行くのに、その説明を技術的な理屈で説明すること自体、心が無い。客先は謝ってほしいのだから、謝ればよい。それを自分たちの理屈で、技術論をブツのは最低である。まったく客商売がわかっていない、というかそれならば「お客さま」などという大ウソをつくべきでない。
当然、客側も悪い。難癖をつける輩もいる。しかし、そんなのは当たり前の世界だ。どこの商売でもある。それをだましだまし、「心」で接するのが商売の基本であろう。それを電力会社は、上から目線で頭ごなしに、電気工学の理屈で説明するから馬鹿なのである。彼らには「心」で社外と接する訓練を受けたことが全くないのだ。
彼らに小売商売はできない。発電所とともにとっとと小売部門も売却すべきた。
もちろん現行の経営層は箸にも棒にもかからないからすぐに辞職させるべきだろう。