電気をコメに例えてみよう

東日本には関東米穀、東北米穀、北海道米穀という3社があり、それぞれが自らの地域にコメを供給していて、これら地域内でのコメの地産地消という形態となっている。また関東米穀では関東水田、関東物流、関東宅配、関東米店という一貫供給体制で、関東地方の住民のコメ需要を予測してコメを生産し独占供給している。

しかし今回の地震津波で東北地方に借りていた関東米穀の水田が被災し、関東地方に運ぶコメがなく関東では消費制限がかかっている。その理由は、関東地方の消費者が関東米穀からしかコメを買えないからだ。さらに関東物流は被災していない(関東水田以外の)水田からのコメを輸送する仕組みにはなっていない。

この関東物流は自社米である関東水田のコメを運ぶための会社であり、関東水田以外の生産農家からのコメを運ぶかどうかは、随時判断することとなっている。つまり、関東物流のトラック運行に都合がよければ「運んでやるぜ」となる。これを電気の世界では託送という。さらに関東物流は東北物流と別の会社なので、お互いの地域をまたぐ流通量を増やすという動機がない。関東物流と東北物流は道路も建設するが、お互いのテリトリーを守るために接続道路の建設には消極的である。

物流業者としては東京物流が本来、他人の荷物を運ぶのは当たり前だが、さらに輸送料金の透明性が大事だ。宅急便社が「どこの町でのコメの集荷なら輸送費はいくらです」と、道路の混雑状況と山道・坂道を加味した集荷料金を設定・開示しているのと同じである。

日本の宅急便会社は現実では複数存在するが、送電会社は自然独占の1社となる。独占状態では送電料金が競争で下がる仕組みが働かないから、規制部門が厳格に送電料金を設定して監視する必要がある。差別的なアクセスはもってのほかである。

この宅配便会社が全国ベースでコメを届けてくれれば、自然に需給調整ができる。さらに東京水田以外の稲作農家、東北水田や北海道水田など、東日本には数多くの水田があり、それぞれにブランドを付け、銘柄を誇るように工夫して生産している。それぞれにコストが違うが、それは消費者の選択である。さらに新種米(新エネ)も流通できる。

電力の構造改革の議論は、物流を水田から解放し、関東物流・東北物流・北海道物流を一体化させることで流通を広域化、効率化させることだ。一方、自由化とは関東米店が関東水田のコメだけでなく、東北水田のコメも自主流通米も売れることであり、さらに新種米の他にも肉や魚や野菜を売っても良い、ということである。それによって消費者の選択肢が広がり、小売店も調達先を多様化できて商品の安定的な供給につながる。