無視できぬ外の視線(その2)

日本のもの作りの伝統はドイツの工業技術の伝統に近いものがある。両方とも工業技術国であり民族主義の色がある。また集団として色に染まりやすい。極端な言い方をすれば、モノとの対話が得意で他人(他国)との対話や感情表現が苦手である。そして両国とも第2次世界大戦で軍部の暴走を止められず、隣国に大量の犠牲者を出し、しかも玉砕型で敗戦を迎えた。
ドイツは敗戦後にナチの戦争責任を認め、EUに復帰、さらに軍隊も持つようになった。一方、日本は米国の庇護の下、戦争責任の総括が曖昧で、その結果軍隊ももたず平和ボケの状態となっている。
この違いは何かと考えたが、それは歴史観と(宗教を介した)個人主義の違い、そして欧州大陸の真ん中に位置するという世界観の違いだと思う。日本の歴史は外国との接点が少ないがドイツではまさしく欧州の激動の歴史の中央に位置してきた。さらに民族主義とは言っても基本的にキリスト教のよる教会と個人との契約が存在する。個人を教会という視点、そして隣国という視点から見る機会のあったドイツと無い日本。
最近の敗戦番組の中でも、やはり外の視線が足りないと感じる。多くの番組のテーマは「二度とこのような戦争はしてはならない。」であり、戦争の悲惨さを兵隊に行った人々の視点と、残され空襲に逃げ惑った人々の体験が語られている。
しかし、戦争を起こしたのは日本である。にもかかわらず、日本の敗戦記念番組のテーマが敗戦にいたった際の日本人の苦しみや悲しみをあまりに中心にしすぎている。本当は日本に戦争を仕掛けられ、戦略された国々とその人々の苦しみと悲しみを考えるべきではないのか?
(太平洋)戦争の悲惨さを訴え、語り継ぐのであれば、アジア太平洋諸国の人々がそのような殺され方をしたのか、彼らの心の苦しみと日本に対する憎しみ、また誰の責任で日本軍が暴走したのか、殺した日本軍の兵士の心はどうなっていたのか、を解析することが重要ではないか。
自己中心的で井の中の蛙である日本的発想がまったく変わっていないことは、日本が時代から取り残される必然性をもっている。