規制強化による変化?

今回の衆議院選挙の争点の一つとして、小泉・竹中路線から反小泉政策への転換に対する国民の判断という見方が論じられている。小さい政府による市場主義から大きな政府による管理主義への変化とも言われている。それにともなって産業界からは産業構造の再編と規制強化に対する懸念の声があるようだ。
規制と一言でいうが、本来の「規制」とはレギュレーション(regulation)であり利益の最適配分を行うものと理解している。これをいつの時点で「規制」と日本語訳したのは定かでないが、regulationの一つの例がスクーバ・ダイビングのエア調節器である。これがあるおかげでタンク内の空気圧がregulateされて人が呼吸できる圧になる。
また、規制の本来の姿は自由競争のためのイコール・フッティングの条件作りだと思う。
米国でも規制撤廃にともなう苦い経験がある。2000年のカリフォルニア州のエネルギー危機では電力市場の規制撤廃があったが市場参加者の行動規制が未整備だったため、エンロンのような市場プレーヤーの暴走を止められなかった。ブッシュ政権は2008年の金融危機においても同様のミスを犯している。金融市場の規制緩和とともに必要な市場参加者の行動規制が欠如していたためにリーマンを初めとするプレーヤーの暴走を抑えられなかった。
本来の正しい規制は市場における正しいルール作りであり、市場参加者を市場支配力(market power)から守り、市場取引がフェアで透明性を確保することだ。そしてその規制当局は市場関係者から独立した規制機関でなければならない。(我が国ではコーチが審判を兼ねている場合があるが。)
また新たな規制作りには消費者を入れた制度設計が重要だが、我が国の場合、国の分科会などではプロバイダー・ロジックの利害調整だけで消費者の声があまり届いていない。
本来の規制が果たすべき役割を真剣に考え直すときである。