空洞化とは言わない

ある米国テレビドラマで「謝るのは弱さの表れだ。」というセリフが記憶に残っている。
日本人はすぐに謝りすぎる。土下座すれば、謝れば、辞めれば、腹をきれば潔いという文化だが、その責任はどうするのか。残った人間はどうするのか。
今回の閣僚たちも「空洞化」を連呼しているが、無能さを認めているだけだ。
そもそも空洞化は経産省傘下のエネ研が「原発廃止になったら電気料金が上がって」と脅したことと、円高で輸出依存の製造業の採算が合わないことが原因だが、前者の根拠は根拠レス(原発推進派の計算)だし、後者は”国際収支節度の効かない米ドルは滅価する”常識に沿ってドル安になっているだけである(から、それを予見して行動しなかった方がおかしい)。
円高ならエネルギー資源や消費財の輸入コストが下がっただろうから、これらの企業が雇用を増やすべきだし、それこそ内需拡大に沿っている。さらに海外進出=雇用減少ではなく、海外の工場の管理職として海外派遣すればよい。仕事を失うことを考えれば、海外転勤が嫌だなどとは言っていられないだろう。それこそ人材の国際化が、否が応でも進むこととなる。
何も考えずに、何も対応策を検討せずに空洞化、と言うのは中学生でもできる。それを言う前に、何が真実なのか、何をすべきなのか、考える力がなければ「大臣面」をする資格はない。