原発ムラの識者の発言から

1977年の原発の安全設計審査指針9「電源喪失に対する設計上の考慮」には、「長期間にわたる電源喪失は、送電系統の復旧または非常用ディーゼル発電機の修復が期待できるので考慮する必要はない。」と書かれている。一方米国が1988年に連邦規則を定めて全電源喪失の危険性について継承を鳴らしたが、日本は1990年の安全指針の改定時にも全電源喪失の危険性を無視し続けた。
これに対して当時の原子力安全委員長の松浦氏は、今日のサンデーフロントラインで「この世の中には人間がとても想定できないことがある。隕石が降ってくる確率を引用して、全部対応しようとするとすごい費用がかかる。」と述べている。松浦氏の発言を別に表現すれば、「原発の安全対策には莫大な費用がかかるので、今までそれをやらなかった。やるとすればコストは法外なものになる。」ということだ。つまり原発は決して安い電源ではない、ということになる。原発を全廃すれば電気代が上がる、原発か産業空洞化か、の議論ではなく、原発を安全に維持すれば電気代が大幅に上がり産業空洞化になる、という説明となる。
次に出てきた原子炉安全基準作業部会長だった村主氏は、「安全設備は多ければ多いほどよい。でも多いほど運転のミスや、機器の故障が増える。十分で安全な設備がなければならないが、しかし十分以上ではまずい。」と述べた。言い換えれば「原発は非常に複雑なシステムであり、運転ミスや機器の故障は免れない。」である。そして問題なのは、原発天然ガス火力発電所風力発電所などと比べて、故障したりミスで事故になったときの被害が比較できないほど甚大である点だ。村主氏は、原発のリスクはそもそも甚大だと言っている。
つぎに登場した原子力安全委員会、耐震安全性評価特別委員の入倉氏は、「大停電が過去に起きたことがない、と過去の経験で決めていて、とくに原子力のために必要な送電設備を作ることはなかった。」送電用設備の信頼度は高いとされ原発の耐震設計評価から外れていて一般構造物扱いだった、という。原子炉は耐震性の評価基準が厳しいが、鉄塔だけでなくタービン建屋なども同様に通常の耐震基準であるそうだ。保安院の安全宣言は、今までの間違いだらけの模範解答にしたがって採点したのであり、電源喪失につながる間違った基準を全面改定しなければ全く意味がない。
最後に出てきた当時の指針起草WG主査である石川氏は「技術者が自信過剰になり慢心になった」と述べている。日米で原子力に関する情報交換があっても、日本は米国とは違うから、という理由で米国の情報に耳を貸さなかったのである。これは今の日本の電力会社の体質そのものである。発送電分離の議論にしても、欧米で行われている情報を一切遮断し、経済性、効率性、市場性を全く無視して地域独占体制を敷いている。
日本が世界とは違うという電力会社の今までのロジックが崩壊した。さらにそういう日本を世界は見放し始めている。日本が空洞化したり電力不足になった原因には、電力会社の慢心と日本型閉鎖的制度であるという認識をもたなければならない。