菅氏の脱原発発言について

菅氏の脱原発発言に予想通りの反応だ。
電事連、日経、読売は、「禍根を残す」「展望が無い」「電力供給に不安」と訴えた。良く考えてみれば、電事連、電力会社由来のメディアの不見識で原発事故となり、その結果「歴史に禍根を残す放射能汚染」「展望の無い電力事業」「電力供給に不安」という状況が生まれたのである。その当事者である彼らには自分たちの誤りをまったく反省せずに他人の批判ができるのだろうか。
菅氏の擁護をするわけではないが、現実的には原発の運転を止めるまでに代替電源を確保することになるだろうし、筆頭候補の天然ガス火力発電を増設しながら、CO2の出ない風力と太陽光を追加してゆくことになる。だから来年の夏の需給がどうなる、という話ではない。それこそテクノクラートが方策を立てるのであり政治家の役割ではないことを、大メディアが理解していないとすれば不見識だ。
さらに原発の危険度は核燃料プールにもあるので、全廃を決めても20−30年間は放射能事故防止の緊張感が続くのである。原発の運転を止めることがすぐに安全につながらないのが原発の実態であること、長期的な対策が必要となりそのためにコストも莫大となること、を電力会社も産業界も理解していない。というか、目先の制度上のメリットに目がくらみ、将来の日本の国土の保安を視野に入れていない。
リーダーとは高いハードルを掲げ、それに向かって国民と経済界が技術を高めてゆくのであり、経済界の目先の利権に誘導されるのは間違っている。それでは過去の自民党と同じだ。