東電、株主総会でも暴挙だが

昨日の東電の株主総会を見て、改めて傍若無人な経営陣のやり方が目に余った。
法律的には許される議事進行だが、それでは被災者や被爆者、避難住民、計画停電で経済被害にあった人、農家と水産事業者は怒髪天を衝く気持ちだろう。
勝俣会長の腰高な物言いも、一般株主軽視というよりも蔑視の姿勢がうかがえる。確かに機関投資家の株主がいるから、彼の高圧的な姿勢も理解できるが、それでは国民と電気事業者との溝は深まるだけだ。原稿を読み上げるような冷たい発言では、心がない。
株主に真摯な姿勢で臨むことが重要なのだが、東電の経営層は福島原発事故の直後に、高飛車な姿勢で被災者を訪問したときと同じ様子である。
さらに問題なのは、東電を取り巻くゼネコンやメーカー社員が株主総会で会社側議決に参加していたことである。彼らには被災者や被爆者の気持ちを理解できるはずだが、ここでも彼らの倫理観(あるとすれば)とモラルが電力権益という巨大システムに押し潰されている。
ゼンコンやメーカーという会社組織の中で東電支援をする立場の人間は、人間としての倫理とモラルを取り戻してほしい。東電はすでに過去の組織であり、過去の利権にしがみつくということは自分たちの未来を捨てていることなのである。
東電の現場の社員の中には、新生東電を模索している人もいるだろうし、新たな羅針盤を探してもいるだろう。それなのに、ジャーナリズム(の体をなしていないが)とゼネコン・メーカーは無様な姿をさらして、屍となった東電にしがみついているようだ。