反省のない東電人事

東京電力の清水社長の後継社長として西沢氏の昇格が決まった。しかしこの東電の社長交代は勝俣会長の良識の欠如した自爆人事である。
西沢氏は企画という東電の中でまさしく大本営を切り盛りした人間である。
電事連の時代でも彼は極めて保守的であり、電力会社の既得権益の保護のためなら、それころ汚い仕事や危ないやり方で(最近は飴と恫喝と呼ばれているが)原子力事業推進・拡大のためのマスコミ懐柔策の指揮を執ってきた張本人だ。
そして2005年の電力自由化の議論でも、経産省の当時の無能役人と御用学者を操縦し、ことごとく電力会社の論理をまき散らしてきた。
勝俣会長にとってはおそらく同じ企画畑として気心の知れた間柄だろうが、これで東電の経営陣は、東電の再生復活ではなく、玉砕で万死を迎える方向に舵を切ったと見る方が正しいだろう。
そして東電本店の中枢部の発想と、社会一般の通念、そして国際社会から見るあるべき電力供給システムとのかい離は大きく広がったのである。
この問題を東電の経営失敗にとどめて、東電の資産売却として送電と配電を切り離させ、日本の金融機関と政府の格下げを回避すべきだ。