なぜ安心するのか

菅首相が浜岡を止めた。当たり前である。もんじゅも止まった。
大事なのは原子炉の冷却プロセスと使用済み核燃料プールの電源だ。それが済むまで、あるいは納棺するまでは何も安全ではない。
安全ではないのは、原発から50キロ圏内に住む住民と、原発保有する電力会社、政府、そして日本国である。
関電は浜岡しか止められなかったから安心だという。彼らの発想は理解できないし、事故が起きれば経営者の首も関西経済圏も吹き飛ぶ。原発リスクは非常に高いのに、自分の会社の経営陣の首が危ないのに、さらに言えば関西経済を賠償することもできないのに、なぜ安心なのだろうか。
田原総一朗もおかしい。原発を安全に運転できるはずがない。そんなに原発が好きならば、福井県に住むべきだ。原発が止まれば電源が足らないというのは原発村が作った神話だが、それを彼もほとんどの国民も信じているのは奇妙だ。彼も焼きが回ったのか、電事連に汚染されているのだろう
ここまでの被災、そして甚大な被害が出ている。東電の経営陣の首を切っても、国土は戻らない。なぜ日本人はリスクを判断する頭を失っているのだろうか。海外から見れば、とくにベラルーシウクライナ、ドイツから見れば日本は異常な国である。
きつい言い方をすれば、地方経済の活性化をおろそかにし、中央からの原発まみれの金に巣食っていた地方自治体は、今こそ潔く自浄すべきであろう。