バハレーンに見る権力側の姿勢

バハレーンでは戦車が退却し市民の真珠広場での抗議行動は一応収まったという。そこでCNNがバハレーンの皇太子にインタビューしている。
彼は王の指示で、民主化運動派たちとの話し合いと和解を求めているという。そして彼がその責任者になったわけである。彼の英語は米国人と間違えるほど流暢だ。それだけ王族の米国留学は多いのだろう。
しかし彼の発言の内容には日本の大企業幹部と同様の高飛車な姿勢があり、10年前に比べて情報開示はずいぶん進んでいる、と述べただけで、死者を出したことに関する謝罪の声は聞かれなかった。犠牲者の家族、友人の悲しみと怒りを理解しているようには見られなかった。
バハレーンでは、イスラム関係者とみられる人々による民主化運動の継続アピールが見られる。これは筆者が最も懸念することだ。
王族たちと民衆との間のギャップが大きすぎるから、イスラム過激派が浸透する隙間が生まれるのである。
前述のように、アラブの民主化運動をイスラム運動にさらわれていはならない。
日本のメディアがやっと一連のアラブ民主化運動の報道を増やしているが、それでもこの歴史的な動きを認識し、新たな中東秩序が生まれようとしていることをほとんど伝えていない。事なかれ主義なのか、単にボーっとしているだけなのか、意味不明である。