漂流するニッポンの高学歴者

テレビで、就職できないニッポンの30代の高学歴者を報道していた。
日本の大企業、大組織は経営陣が「お神詣で」をすれば、国の予算と方針で経営できたので、脳死状態が続いた。したがって彼らには自分たちよりも高いレベルの知識や経験は必要なく、霞が関の官僚にチャレンジするばかりか、霞が関の方向に神棚を作って拝むことが経営だった。
だから今の日本が「このざま」である。
法律の知識や大学院レベルの知識は、ニッポンの大学の水準が欧米に比べて低下する傾向につれて下がりつつある。しかし個々人の努力でベースの知識レベルを向上させることは可能だ。
高学歴者には日本に市場はない。つまり、高学歴を生かすためには海外の人材市場で生かすしか術はないのであり、そのためには英語学習が必要だ。
英語は米国と英国での人材市場を開拓するための武器ではなく、知識の習得、知見の発表において、また英米以外の国において共通の「知識」言語になりつつある。
英語を話すのは英米の幼児でもできる。重要なのは知識の中身であり、それを習得、発信、コミュニケーションする内容である。
以前にも書いたかもしれないが、日本人には、日本語で話している英国、米国、ヨーロッパ人が居た場合に、彼らに日本語で会話に切り込む能力がない。
世界観の習得と英語でも伝えることができる技術を身につけることが求められている。