理解に苦しむ人たち

時事通信によると、社民党福島瑞穂党首は25日の常任幹事会で、参院選での敗北について「党首として責任の重大さを痛感し、誠に申し訳なく思っている」と陳謝した。又市征治副党首が敗北の責任を明確に認めるよう求めたのに応えた発言。又市氏はこれを受け入れ、副党首の辞任届と執行部総辞職の要求を撤回した、そうである。
この記事をみて違和感を感じた。これは小学校低学年の学級委員の決め方のレベルではないか。運動会で負けた。その「ごめんなさい」と言えないなら、学級委員を辞めろ。でも最後に「ごめんなさい」と言ったから、学級委員は辞めなくてもよい。
これが日本という国家の政権の一翼を担っていた連立“与党”の姿なのだろうか。
副党首が本当に党首の施策が間違えていたのならが、党首を代えるべきである。ごめんなさいで許されるのだろうか。責任を明確に認めるという動議がそれだけで完結するのだろうか。
何が間違い(の事象)で、何が間違いの原因で、何を正す必要があるのか、それを問いただす側と問われて答える側がそれぞれ明確にすべきであり、責任うんぬんの問題ではないはずだ。
しかも感情論のごめんなさいで、質問者側がすべてを水に流すというのは、理解できない。
小学校低学年の子供たちでも、なぜなのか、どうしてなのか、どうすれば間違いを繰り返さないのか、理解できるだろうし、又市氏も福島氏もおそらく小学生以下の思考回路しか持ち合わせていないのだろう。