日本の独立、沖縄の独立

人間が成人すると独立して生きてゆかねばならない。そのためには体力、知力と経済力が必要とされる。そして精神的に独立するには生きる気力と誇りが求められる。体力によって病気やバイ菌などの外敵から体を守り、知力は経験則以上の未来予測に役立ち、経済力は経済的な自立を促す。さらに重要なのは気力と誇りをもち、他人をリスペクトすることによって回りからのリスペクトを得ることができ、結果として争いに巻き込まれない抑止力をもつこととなる。
国や地域においても、本来は独立自尊のために体力、知力、経済力、そして誇りがバランスされていなければならない。日本国や沖縄の場合はどうであろうか。
フィリピンは歴史的に大国に支配される時代が続いたせいで国民の誇りを失ったという議論がある。沖縄は残念ながら似ている。沖縄が誇りを持つことで、沖縄自身が独立する。そして沖縄の独立があれば、日本の独立も考え直すことが可能となる。
日本が憲法改正で軍隊をもち、抑止力を持てば、沖縄の米軍基地が不要になる。その代わり、自衛隊が沖縄に駐屯するか、県外での自衛隊配備により沖縄の「米軍負担」は軽減される。
守屋氏が指摘するように、沖縄の知事が二枚舌を使っていたとすれば、それは県民への愚弄であるとともに、誇りのない政治の象徴となる。
トーマス・マンの言うように「政治を軽視する人間は、軽蔑に値する政治しかもつことができない。」これはアンケート民主主義を増長させる日本のメディアに対する痛烈な批判でもある。やはり結論は、誇りを持つ教育の必要性となるのだろうか。

終戦記念日に際し、普天間問題を日本の独立、沖縄の独立、と絡めて考えてはどうか。
さらに海兵隊という地上戦部隊を、日本とアジアの防衛のために送り込んでいるアメリカ人兵士の家族のことも、考えるべきだ。
戦後65年、アメリカの軍事の盾の陰で、タダの経済繁栄を享受してきた日本は、野党の平和ボケ論から早く目覚めて、真の日本の独立と沖縄の独立を考え、実行すべきだ。