日本の被害者意識の異常性

昨年も今頃書いたかもしれないが、この時期になると戦争ものの報道が増える。
太平洋戦争の災禍、犠牲者の訴え、核廃絶などさまざまだ。
自民党政権時代には靖国参拝が大きな焦点になっていたが、民主党では誰も閣僚は参拝しないという。一方、自民の谷垣氏は参拝するそうだ。
民主党韓国併合100年という節目で、再度なるお詫びと資料の返却などを行うとしている。
しかし政府が韓国やアジアに謝る一方、国内のメディアは日本国民が戦争の被害者であることの報道しかしていない(あるいはそのように目に映る)。
日本国民を戦争の被害者にしたのは戦前戦中の政府の責任だ。そして日本という国家ならびに日本国民を加害者にしたことも事実である。しかし、どうも日本と日本人が戦争の加害者であったとの認識が不足している。
日本国民がアジア諸国、とくに中国と朝鮮を侵略したのは事実である。そしてその加害者を作った日本政府と軍部、加害者になることを由とした日本国民、そして侵略され殺されていった人々や家族たちの記録映画をもっと流すべきではないだろうか。
確かに日本は原爆の被災国である。しかし、日本が戦争をしかけなければ広島も長崎も被爆したかどうかわからない。日本の戦争被災者よりも、肉弾戦や刀で日本兵に殺され、日本兵から逃れるために幼い子供の口をふさいで死なせた中国人たちには、さらに罪はない。日本は国が犯した罪は認めても、国民は何も罪がないのだろうか。極端に言えば、和を重んじ、集団主義、事なかれ主義で政府の暴走を止められなかった「心の弱さ」が問題なのではないか。
戦時中の日本軍人は敵の捕虜に対する考え方など一切念頭になかった。しかし、個人個人の価値観があれば、そしてそれを良く考えれば、捕虜の殺人は防げただろう。自分が命じられて行っていることに一部の疑念もないとすれば、日本国と同罪であると言えるのではないか。
だから、何をしろ、というのではない。ただし、日本人だけが戦争の被害者であるような報道番組の流し方には異常性を感じる。
これはあくまで日本が侵略したことによって起きた戦争であり、それに加わった日本人が中国人や朝鮮人を価値観なしに殺し、それはすべて国の責任だ、と言えるのだろうか。
今でも、大企業には何の疑念も感じずに平気で贈賄や違法な選挙活動をしている部署が存在する。自分たちが社会のモラルに対する加害者であることを何も考えないことが、戦争時と類似していて恐ろしい。