フランスと猫

いろいろなことがあって、過去10ヶ月で7回もパリに行くことになった。
それまでは、パリは嫌いでディジョンは好き、もっといえばローマは嫌いでミラノが好きだった。
しかし、住めば都ではないけれど、パリの汚いところと潔い点が見えてきた。
要するにフランス人は猫である。これと対称にドイツ人は犬である。
猫は好き嫌いが激しく、感情が出て、個人(個猫?)主義で群れない。群れないから全体のこととか、他人の迷惑とか、考えない。しかし個人の琴線に触れる場合には恐ろしく敏感になる。それに仰々しい説明も必要だ。しかし、やっかみとか、ひがみとか、他人との比較は頭にない。
地下鉄で去年の9月にスリに会った。10代の若い女子二人でスリ行為だ。しかし一方、街中では10月にAudi R8が夜に平気に路上駐車していた。さらに驚いたのは、先週、同じ8区で最新型フェラーリが一晩中路上駐車してあり、翌朝までいて、みてみたら傷一つなかった。
要するにスリも通り魔も自分のことしか考えていない。新型フェラーリが路上駐車してあったら、おそらく完璧に盗難にあるか、無傷か、どちらかだろう。(まあ、市内でなくてサントルアンあたりなら違うかもしれないが。)
スリもある。軽犯罪も多発する。そんなパリだが、卑劣なというか、やきもちから派生する下らない犯罪は日本より少ない。
鹿をボーガンで射抜こうとする輩。亀の背中に落書きする輩。
軽犯罪もできないから、といっては不謹慎だが、弱いもの、無抵抗な器物にしか、自分の暴力行為で自尊心を汚すことのできる、そんな輩が日本には多すぎる。日本人には卑怯で卑劣なやっかみは犯罪ではない。
政治家にもそうだが、この国にはself esteemがなさ過ぎるのは教育のあり方に問題がある。
何にしても、all Japan、すべて和の精神、仲間はずれになるな、打たれる杭になるな、では卑劣な犯罪が耐えないだろう。人と比べるよりも、個の尊厳を尊ぶべきである。
霞ヶ関日教組も彼らの考え方が完璧に時代にそぐわない。