日本と韓国の後進性

日本は見事にオリンピックで負けた。中国にも韓国にもだ。
日本は島国で常に内向きな発想しかない。トヨタの問題、そして米国での社長の対応を見ると、コミュニケーションの考え方と行動がいかにも内向きな日本的であり、これでは欧米の市場を安心させることはできない。リスクを伏せる体質が組織的であり、組織に属する社員がそれに完全に染まっている。というよりは染まらなければ日本の組織では生きてゆけない。
これは民主党の小沢氏の秘書が小沢氏の所業を徹底的にかばって隠し通したことが日本では美徳であることに対して、欧米ではまったく逆なのである。日本ではどのように間違っていても組織を糾弾することは大罪であり、個人の善悪の判断は認められない。だからベトナム戦争に加担した当時の米政権の事実をすっぱぬいたDaniel Ellsberg氏は米国では英雄だが、日本では村八分どころか暗殺されたであろう。その前にどの新聞社も取り上げないだろう。
米国におけるジャーナリズムは衰退しているが、それに比べたら日本は壊滅している。それどころか、ジャーナルズムという体制チェック機能はまったく教育レベルからも外れて、体制に迎合することを幼少時、あるいは徳川時代から刷り込まれている。
これは全体主義であり個人主義に対する挑戦である。
飛躍すれば、日本がオリンピックに負けたのも個人主義の欠如、競争心の衰退、平和ボケなどが原因だ。友愛主義など時代錯誤も甚だしい平和ボケ政権を生み出し、沖縄の対中防衛ラインを撤去させる北朝鮮の傀儡政党と連立を組むほどボケている。
個人主義が成長し、成熟していない日本。そして全体が平和ボケすれば誰もそれを止められない、止めることさえ口にできないジャーナリズムの欠如は日本の後進性を物語る。
一方、韓国の全体主義も甚だしい。以前、英国人から聞いたが、韓国人はラグビーは不向きだという。ラグビーのように集団で格闘する球技では、韓国人の血が騒ぎすぎ、喧嘩になってしまうというのだ。つまり血が騒げばルールが見えなくなる。(これは日本の国会、台湾の国会も同じだ。)
今回の2チャンネルへの集団的サイバーテロは、おそらく民族の血が騒いだためであろう。つまりキムヨナへの批判を個人として、あるいは「そういう見方もある」「そのような(低いレベルの)批判には動じない」といった冷静な個人感が希薄なのだ。中国でも以前、日本とのサッカー試合で敗北した際に、激昂した観客が日本車を焼き討ちにしたことがある。
この個人を見失う血の騒ぎ方は、どのように文明が進歩しても文化が追いついていないことの証拠である。ここでも個人主義が成長せず、成熟には程遠い後進性が顕著だ。
日本のように、どのように文明が衰退し始めても、それに対するジャーナリズムによる国民内部からの警告の不在や、企業の体たらくを組織内部からの警告を抹殺する全体主義は、日本の衰退を加速化させる。日本がポルトガルのように斜陽国になる日は近い。