日本のスポーツ界に老人クラブは要らない

今朝の時点でのバンクーバー・オリンピックの日本のメダル獲得数は計3個で20位だ。1位はドイツ、2位アメリカ、3位ノルウェーは順当なものの、韓国が5位、中国までも9位だ。
日本は何をしているのだろう。これにはスポーツ指導者層の老齢化とトレーニングの旧態化、選手の精神力の弱体化がある。
スポーツ競技は団体戦でも個人個人の能力の高さが求められる。しかしながら日本の古来の教育方針は、出るくいは打たれる、であり、個々人の能力をほめる教育は小学校の教育課程から姿を消している。
それどころか教師も全体主義を増長させ、個性を埋没させ、能力のある子供の足を引っ張り、集団イジメに参加している。これは教員室でも同じであり、事なかれ主義と独創的な改革をつぶすことに全員が参加している。
これは自らの立場を客観的に捉える近代的な科学志向の欠如であり、まるで龍馬伝尊皇攘夷派と同じである。
世界の中の日本のスポーツ界は自らの位置づけを見失い、老齢化した指導者が陳腐化した指導法でトレーニングを行い、さらに自己啓発を否定し暴力で「仲間」入りを教養させる相撲界や野球界のスポ根精神は異常性を帯びている。

日本の井の中の蛙では世界に勝てない。いっそのことガラパゴス大会の国体や国内の選手権大会は全廃して、すべてをアジア大会に切り替え、東アジアとして切磋琢磨する時代に進むべきだ。

また、日本オリンピック委員会竹田恒和JOC会長の名前を聞いた人が何人いるか、をきけばわかる様に、リーダーシップが存在していない。つまり老人には日々進歩する世界のスポーツ技術を理解するのは困難だし、それは経済界にもあてはまる。今さら米倉弘昌住友化学会長を経団連の会長に据えるなどというのは、老人クラブマスターベーション(無理だと思うが)であり、これでは日本の閉塞感は拭い去れない。彼らでは30年後の日本のビジョンを打ち立てるには精神的・肉体的にも萎え過ぎている。

スポーツは鍛錬された精神と肉体による若さと不可能へのチェレンジだ。老人クラブ化した経団連に日本の復活を求めるのは自殺行為としか映らない。