やましき沈黙

太平湯戦争の敗戦記念日が近づくと戦争に関するテレビ番組が増えてくる。
そして最近の番組で日本海軍の行動に関して「やましき沈黙」という表現があった。特別攻撃隊(特攻)を編成した海軍・軍令部の殺人性に対して、人道的な見地から特攻作戦に反対する意見が海軍内部であったにも係わらず、口に出して反対意見を言う人がいなかった。「間違っていると思っても口に出せない」風土をもつ組織はまだ身近に数多く存在する。
特攻隊は現代でいう自爆テロである。標的の相手を倒すためとは言え、特攻の成功率は一桁だと言われている。それ以外の目的は精神論と相手への恐怖心を煽ることであり、敵を倒す確度以外で特攻はイラク自爆テロと共通している。飛躍すると当時の海軍首脳はテロリスト的な精神状態であったようだし、幹部の暴走を抑えられない「やましき沈黙」が存在する企業組織には一種の危険性を感じる。
生還を否定するという殺人行為は人道的に許されるべきではない。しかし現代の企業において、意見を述べるという自由を否定することは人権を否定することであり、それは憲法を否定することとなり、近代国家の体をなさないことにもなる。
集団の和を乱さないがために個が我慢し、集団の存続を優先する日本古来の考え方は、小学校教育の過程から始まっている。そしてそれは狂気のリーダーの暴走を許し、組織犯罪に加担することになる可能性を秘めている。
原因の一つは組織の首脳陣の神格化と厳粛な継承である(これは北朝鮮によく似ている)。海軍では皇室が幹部のポストに座り、まさしく神格化によって自己修正が不可能な組織となって暴走した。現代の一部の大企業でも“幹部層の神格化、厳粛な継承(先輩後輩の固い絆による規定路線の盲目的な肯定)、一般社員の個の喪失、社外よりも社内論理の優先と社会倫理の欠如”が横行している。とくに競争原理の働かない保護産業や公益事業では既得権益の守りに走り、顕著に前近代的どころか帝国海軍を彷彿とさせる風土がある。
個の無い組織は恐ろしい。