衆議院選挙の報道から

衆議院選挙が近づくにつれて、政治番組が増えてきた。さらにさまざまな視点での政権交代に関する議論が活発だ。その中でとくに感じた点を挙げてみる。
まず、2005年の郵政選挙以降の自民党結果責任だ。この総括をしないで自民党がなにを掲げても、受験生が自分の成績が良いかどうか分からないのに志望校をとやかく挙げるようなものだ。とくに「改革」を宣言したのだから、行政改革担当大臣の結果責任はとくに重い。本来は行政改革大臣が先陣を切って行革の実施と結果責任を取るべきだ。しかし行政改革が順調に行かず啖呵を切って辞めた渡辺氏の後任で、麻生内閣が指名した直近の大臣は“体制保守側”の甘利氏だから、その程度が推して図れる。
またマニフェストという言葉が一人歩きしてきた。ある意見では、マニフェストは大綱であり基本路線を書けばよいのであって、詳細な数字や導入スケジュールは不要と言われている。またマニフェストにはイデオロギーや国家ビジョン(日本をどういう国にするか)を入れるべきという考え方があるが、自民党民主党も大枠の考え方は提示しておらず各論になっている。さらに日本の経済構造をどのように転換するかについてのビジョンも触れられていない点が指摘されている。(米国のオバマ政権はグリーンニューディールなど民主党シンクタンクのビジョンを国家戦略とした。)
さらに知事会のマニフェスト採点が話題となっているが、そもそも知事会のあり方、本質、主張の背景が不透明だ。新党日本の田中代表が指摘するように、知事や副知事の大半が総務省出身であれば、知事会のスタンスは総務省が利権を財務省から奪い取ろうとしている、いわゆる総務省財務省合戦となっていることも理解できる。そうだとすると、どのように橋元知事がリベラルであっても、知事会そのものの背景をクリアにしなければ創価学会と変わらない。
マスメディアが国民の知的要求に答えるだけの仕事をする必要がある。