日本語の目線

正しい標題は、(あいまいな)日本語(を使う人間)の目線、である。
ここで取り上げるのは、「先生」、「業者」、そして「〜させていただきます」である。
麻生総理が1年生議員を〜先生と呼んでいるのをテレビで見たことがある。ここまで封建的な政治の世界で1年生議員を「先生」呼ばわりするのは皮肉としか聞こえない。代議士(国会議員)は、なぜ先生と呼ばれるのか。おそらく先生と持ち上げることによって陳情組が利益誘導を図ってもらえると信じているからであろう。本来の国会議員は国の立法委員である。議員たちが仲間内を先生と呼び合うのは封建社会の特権階級意識丸出しの(下賎だが)マスターベーションとしか思えない。
「業者」も然るに封建社会の特権階級意識の産物である。業者とは、お上に着いた方がそこに出入りする商人を見下して表現する言い方であろう。例えば、学校のPTAもバザーの出展企業を「業者」と呼び、NHKもうさんくさい行動と判断する企業を業者と呼ぶ。先日、ある官庁の守衛に「業者の方ですか?」と呼び止められた。正しい日本語では、「業者」ではなく「事業者」とすべきだ。放送局まで細かい特権階級意識を国民に植え付けている。
「〜させていただきます。」という表現は最近4-5年でよく耳にする。これは非常にあいまいな日本語であり、主語動詞がなければ伝わらない外国語(英語、欧州語、中国語)では考えられない表現だ。「〜します」「〜いたします」ですむのに、いかにも「誰かに〜するように言われたから、自分の意志ではないが〜させていただきます。」という顛末になる。つまり、「私の意志ではありません」と責任逃れをし、自らの言動や行動の意志または責任を曖昧にしているのである。1億総無責任時代になった、ということか。政治家や経営者まで「〜させていただきます。」では責任者は私ではありません、ということになる。自分の意志を持たず、語れない人間が増える日本は沈没する。