強欲と規制

リーマン・ブラザースの破綻のとき、米当局は同社を強欲(greed)の塊だと呼んだ。
そして、今、米議会はゴールドマンサックスを強欲の権現とこき下ろしているし、これを機会に金融市場におけるデリバティブ取引の規制強化への動きが活発化すると思われる。
リーマンもゴールドマンもユダヤ系金融会社であり、彼らの民族的な背景からもカネに執着するのかもしれない。
カネに対する強欲があれば、法律の穴はどうにかして見つけ出すだろう。これは規制との競争であり、強欲と規制のイタチごっこかもしれない。
一方、日本では小沢氏が検察審査会で起訴相当と判断された。小沢氏は「法律に照らして何も悪いことはしていない。」としており、検察も踏み込めなかった。強欲があれば法律はどのようにでもなりますよ、と言っているようだ。彼にはゴールドマンと同じ強欲が伺える。両者も法律には触れない行為をしているが、モラルを問われていることに気づいていない。
小沢氏の強欲は政治支配への欲であり、金欲のユダヤ資本とは異なるが、彼らにはいずれも強欲があり、それが民意を怒らせている。
強欲に対する解決法は2つだ。一つは規制を強化して強欲な彼らに法律の抜け穴を封じることである。二つ目は、強欲は無意味であり、徳ではないことを悟らせる、あるいは教育させることである。つまり強欲がある限り、どんな法律も追いつかない。大切なのは法規制ではなくモラルを高揚させること、そのための教育である。
最近、スローフード、スローマネーに関する本を読んだ。人類は自然に対して、土地に対して強欲であり、その結果、年十億年もかけて育ってきた自然の生命力を破壊している、と書いてある。
権力とカネに対する強欲、このやっかいな怪物を人間の心に宿さないための教育が必要だ。