歴史と闘う

姜 尚中(かんさんじゅん)氏が4月に故金大中氏から「歴史と闘う」意志を聞いたそうだ。故金大中氏の「国葬」に日本からは外交権のない河野洋平氏が向かう。6か国協議のメンバー国は大物をそれぞれに出して外交を展開する場所なのだが。(麻生氏の勝手で8月30日まで投票日が延びた政治空白の意味は大きい。)
日本政府の外交に軸がなくなってから久しい。政府も党もメディアもテレビのワイドショーとバラエティの人気取りになった。メディアの劣化とジャーナリズムのポピュリズムへの偏向が外交ポリシーの欠如をもたらし、それに輪をかけた役人のレベル低下が外交の目的と手段を混同させ、この国の世界とくに北東アジアにおける長期ビジョンが不在のまま国家運営がなされている。
(本稿の7月25日号にも記したが、)日本企業も業界擁護のための経済政策では議論するが、この国の政治と外交ビジョンでは急に大人しくなる。さらに物作りニッポンのベースは技術力であり、国の産業政策の議論や海外市場戦略はほとんど白紙である。
日本の老獪の経営層はその時間になると酒が入り、まともな思考は停止となっている(中川昭一氏のように)。経営層の国家ビジョンがなければ、今の20代、30代の従業員は羅針盤のない船に乗せられているのと同じであり、だから閉塞するのだ。
日本の経済が物作りで勤しんでいる間に、北朝鮮がどんどん変化し、新たな北東アジアの政治体制と経済システムが構築され、そのときには日本の北東アジアでの役割は消滅している。クリントン元大統領やヒュンダイ会長の北朝鮮訪問、南北往来の再開、金正日側近と南北責任者の弔問外交が何を意味するのか、大きな変化を考える時である。さらに北朝鮮の解放後の日本企業の役割に関して、日本の経済界の思考力が問われている。
ポピュリズムの政治家と卑近な経済しか見えない経営者はこれ以上世事を育むのは止めて、今の20代、30代の世代に明示できる国家ビジョンを構築する必要がある。金儲けしか話題のない経営者と選挙に勝つ方法論しか考えられない政治家は退場する時間である。