原発廃止と東電解体の目的があるとすれば

東電の松本原子力本部部長代理が黒塗りの報告書を提出して問題となった。東電の「ふざけた態度」とコメントするジャーナリストもいる。
しかし、彼らは至って真面目である。原発事故当初、東電の幹部が被災地を訪れた時、確かに天皇陛下よりも頭が高かったが、彼らはそれを当たり前としていた。株主総会でも壇上(に上がることがおかしいが)の経営層は「何で我々は平民と同じ位置にいる必要があるのか」と思っただろう。
ここで連想するのはナチスドイツだ。この狂信的なセクトは、当然、自らの主張が正しいと信じていた。ユダヤ人も殺してよいと思っていた。決してふざけていたわけではない。大真面目に虐殺(と思わずに)を実行していた。比較するのは酷かもしれないが、オーム真理教にも優秀な慶大卒の医者がいた。彼も信念をもってまじめにサリンを撒いた。
東電の原子力ムラの人たちも大真面目で黒塗りの報告書を出していたのである。原発事故を都合のよいように、改ざんするのは当たり前なのだ。だから彼らの善悪の判断を求めてむ無駄かもしれないのである。彼らは原発教と東電教の信者だから、我々とは別の神を信じているのであろう。
原子力ムラがセクトであり、宗教だとすると、これを止めるには教祖を外すしか無いだろう。東電という非常に特殊な環境で育った幹部はもう、改宗できないかもしれない。だとすると、原子力発電という国民災禍(自殺者も出た)をもたらす事業に対して、東電や経団連のような選民意識の高い集団が宗教に基づき、重要なエネルギーだと信じ込んでいるとすれば、その宗教の根底を外す他に国民を守る術は無いのである。
ヒットラーが倒れ、ナチスが解体されて、ドイツ国民は初めて解放され、自らの為した行為を初めて認識することができた。
原発廃止と東電解体は、コスト云々の問題ではなく、被災者がいる、という事実意識を欠如させる原発教と東電教から、国民と東電社員を解放することにその目的がある。